私が学生のピアスを認められないわけ
 私はピアスをしていないし、タトゥー(刺青)もしていません。まあ確固たる信念があるわけではなく、他の人がしているのを見ても「ああ、痛そうだな」くらいにしか思いません。しかし、こと学生に関してはピアス、茶髪、全て認められません。未成年の煙草やお酒は法律で禁じられているけど、ピアスや茶髪は許されてます。だから、「単に好き嫌いで“嫌い”というだけでしょ?」と片づけられてしまう小さな意見です。
 しかし、よくよく考えて欲しいのです。かつて諸外国に限らず、日本でもピアスや刺青の風習はあり、それは他国と同様、成人の証でした。親からもらった身体を自らの意志で傷つけ、改造することにより、「生まれ変わり」をおこなったわけです。任侠の世界における刺青はこの伝統を受け継いでいますよね。まずそういった観点から未成年の肉体改造に異を唱える人もいるでしょう。 
 
 でも、現在の若者はピアスやタトゥー(刺青)をファッションとしかとらえていないのでこの話では説得されない。そこでファッションにおけるピアスやタトゥーの位置づけを考えてみます。それは紛れもなく反発と退廃です。私は脛をかじりながらの反発を認めることはできません。ましてやそれを勇気だなんて、、、。まるで多額の補助金や援助金を受けながら領海侵入を犯す国のようです。反発をするなら経済的にも精神的にも家族や学校から独立しなければいけません。

 そして退廃に関してですが、人間は低きに流れる弱い生き物です。そういった退廃を防ぐ唯一の手段が教養なのです。その教養を身につける学校という場所で、退廃の象徴であるピアスやタトゥー、茶髪は許されてはいけないのです。小学生の子供を茶髪にしたり、中高生の子供がピアスをしてもそれを許す親は「表現の自由」を叫びますが、教養無き自由は、手綱の無い馬と同様、やがて止めどない暴走を生み出すだけです。以上、私が学生のピアスを認められない理由です。
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