あまりにも高い代償

悪魔に騙された詐欺師
 オレオレ詐欺に限らず、昔から人を騙す「詐欺」という犯罪は様々に形を変え存在してます。“石川や浜の真砂は尽くるとも世に盗人の種は尽きまじ”と石川五右衛門が詠んだように今後も無くなることはないでしょう。人の善意や良心を逆手にとる詐欺は本当に許し難い行為です。なぜあのような犯罪を犯す人が生まれるのか。これは偏に想像力の欠如だと私は考えます。
 “捕まると罰せられる”、“道徳的観点から法に触れなくても問題である”などの言葉はどれも「のれんに腕押し糠に釘」です。そんなの百も承知でやっているのですから。ここでいうのは「自分がすることは、いつか自分がされてもおかしくない」という想像力です。

 右は「我が子を喰らうサトゥルヌス」という絵(部分)です。これは印象派のゴヤが晩年に描いた傑作で美術史上もっとも恐ろしい絵の一つとされてます。
 ローマ神話の豊穣神であるサトゥルヌスは実父を殺害し支配者の地位につきますが、「やがて自分も子供に殺されるのではないか」という恐怖から産まれた子供たちを次々に食い殺してしまうのです。ゴヤが描いたサトゥルヌスの目は狂気と悲しみに満ち、まるで私たち一人一人の心に潜む「私たちのサトゥルヌス」を見て怯えるかのようです。

 中年男性と援助交際をした女子高生は、彼氏ができると「この人とあの中年おやじとは違う」と取り敢えずは思います。思っても、やがて中年になるであろう彼氏が女子高生と援助交際するかもしれないという妄想から逃れることができなくなってしまうそうです。そして一生愛情たっぷりの結びつきを得ることができなくなってしまいます。これは本当に恐ろしく、非常にかわいそうなことです。少し脱線しました、、、。

  つまり、一度でも人を騙してしまうと、他人の事を心の一番深い部分で信用できなくなってしまうのです。どんな笑顔も優しい言葉も信用できなくなってしまった人の人生ってなんなんでしょう。こんな高い代償って他にありますか!?悪魔に騙されそして「人を欺く、陥れてしまう、、、」それは実は神ですら怯えおののく二度と元に戻れない暗黒の世界へのプロローグなのです。
 どんな時でもOK牧場!底抜けに人を信用できる、そんな人になれるか?いや、なりたいです。
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