聖子ちゃん教の信者へもの申す
 
 もう何年も前になりますが、松田聖子と電話で話をする夢を見たことがあります。その夢は、私の友達が今度結婚するという設定で、「昔六本木で松田聖子と飲んだときに、結婚する約束をしていたので一応彼女の了解を得てくれ」とそいつに頼まれるというものでした。要所要所にパソコンや携帯電話がバシバシ出てくる今風の夢でした。何であんな夢を見たのかナゾだ、、、。件の友達は未だに独身だし。

 一時、松田聖子は現代の働く女性の憧れのような存在になったことがありました。ここで面白いのは彼女を支持していた(している)若い主婦層はその昔、松田聖子を最も毛嫌いしていた人達だということです。この変化のしようは一体何なのでしょう?松田聖子は変わったのでしょうか。いや、実はその反対で変わらないことが指示された理由なのでした。変化を恐れるもう若いとは言われなくなったOLや主婦たちにはいつまでも若く好きなことをやり続ける「松田聖子」が受け入れられたようです。松田聖子は彼女たちが目指す「死ぬまでぶりっこ」の教祖となったのでした。

 化粧品でいえばMG5、インスタントラーメンでいえばサッポロー番といった商品があります。マンダムや東洋水産は毎年新製品を開発発表し、それらの品質は当然、前出の物を遥かに上回っているそうです。しかし、そのあたりまえは売上とは無関係で、相変わらずMG5やサッポロー番はよく売れて、主力商品であり続けているのだそうです。
 一体誰が買っているのでしょう?主な顧客は中年あるいはそれより上の世代。ここで「いい年代」という言葉を使わせてもらうと、人はある年齢からインプットということに熱心でなくなるのですがそのインプットをやめる年というのが、その人の「いい年代」とほぼ一致するそうです。髪形やファッションも同様でその人にとって一番かっちょよかった、イケていたと思っている頃のスタイルを維持しようとするのだそうです。

 赤ちゃんにも同じようなことがあり、機嫌がいいときや笑っているときにいつも同じ歌を歌うようにして、その子が泣いたときにその歌を歌うと不思議と泣き止むことはよく知られています。人はみな「いい年代」や「いいとき」に固執するのです。

 仏教の旗印である、三宝印諸行無常・諸法無我・涅槃寂静という三つの教えがあります。
 その中の一つ諸行無常(しょぎょうむじょう)とは、世の中の全ての物は刻一刻と変化し続けている、ということです。全てのものは変わりゆく、これを押し留ようとするのは真理に逆らうことです。いつまでもこの真理に逆らって一つの年代にしがみつづけていたら真の安らぎは訪れないでしょう。
 「そんなこといっても男の人は若い女の子ばかりちやほやするじゃないの!」と言う人がいるかも知れません。しかしそういう男の人にしがみついていることがもうすでに間違いなのです。大丈夫。別にその男性が若い女の子からちやほやされている訳ではないのですから。
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